「ハンナ・アーレント」(字幕版)を鑑賞した

Amazon 「prime video」のサービスを利用してみた。

 このサービスの利点は、300円ほどの手頃な価格帯で、観たいと感じた時にその場で、色んな映画をレンタルできてしまうことだ。購入後約1ヶ月以内は鑑賞可能というのもありがたい(ただし再生ボタンを押した後は、その後3日間のみ再視聴可能)。

難点は没入感があまり得られないことか。アクション系を観て爽快感を得たいだとか、感動してストレスを解消したいだとか、そういうときには映画館に行った方がいいんだろうな。まあ、このサービスに関わらずDVDとかもそうだし、あたりまえか。個人的にはサービス内容には十分満足することができた。

 

さて、内容についてざっくり整理すると、ユダヤ人として差別を受け、命の危機に瀕した経験をもつハンナが、「悪の凡庸さ」を発見するお話。またその前後のハンナの生活を描いたもの。

ユダヤ人の中にも、消極的であれ差別行為や虐殺行為に加担してしまっていた者がいたというハンナの主張が、さまざまなところから強烈な批判となって返ってくる様子が描かれる物語の後半は、学問人だとか知識人だとか、なんらかの価値規範について、職業として主張を行うような人々が背負っている社会的な責任の重さを学ぶ上でよい教材になると思った。どれだけ批判を受けても、その批判点と照らし合わせた上で、それでもなお自分の主張は間違っていないという態度を貫いたハンナ・アーレントの偉大さに触れると、知識人なんていう言葉はチープになったなぁと思う。ネットを介して誰もが気軽に、不特定多数に対して主義主張を発信できる世の中では、誰もが上述した責任を負っているわけで、チープさは批判されるべきことではなくて、むしろ望ましいことなのかもしれないと思ったりもする。

 

余談になるが、ハンナの主張に対する批判は、的を射たものではなかったとして、「炎上」は一度おさまるのだが、彼女の「BOSS」であるハイデガーとの子弟の壁を超えた不倫関係が暴露されることで「再燃」したのだとか。つまり、彼女の主張は真理を探究する行為としてのそれではなく、愛人であった者としての単なる愛情表現の域を出ないというわけだ(ハイデガーは、戦時中ドイツ側についていた)。劇中では、この点についてはソフトに描写されているが、いつの時代も人々のゴシップへの関心は変わらないんだなーと。