学校と「カネ」の関係について考えてみる。(その1)

●そもそも学校とカネとの関係について考察を行おうと考えたきっかけはなんだったか。

  おそらく卒業論文のころから一貫していることは、関心はあくまで学校経営にあったということ。自分の中で学校経営という抽象的な事象の裾野を捉えることができずに、「教育実践」という概念に落ち着けることで、「問い」にあたる、「教育実践の波及を促進・阻害する要因は何か?」という疑問をひねり出したのが卒業論文だった。あの頃、僕の頭の中でぐるぐるとめぐっていたことは、学校に必要だと感じている教師の「創造」を代替する手段として、アイデアを「盗む」という選択肢があるのではないかということ。この点に注目し、そうした選択を学校が、もとい教師がどのように行っているのかという点について調査を行ったのだ。
  結果として浮かび上がってきたことは、学校にはアイデアを実現に移す上で絶対的な障壁として予算の有無という課題が常にまとわりついているのではないかという仮説であった。ここでいうまでもなく留意しておかなければならないことは、卒業論文で採用した手法の妥当性の小ささとずさんな調査設計のために、当該論文の説得力は限りなく0に近いということではあるのだが、重要なことは私自身が、学校ないしは教師の組織的な実践すなわち「学校経営」に関心をもち、思案をつづけてきたのだということである。

 修士論文では、卒業論文の執筆の中でであった「カネ」の問題についてより深く考えてゆくことから学校経営についての思案をめぐらせることにしている。そこでは、学校経営の営みにおいて、カネというファクターがどのような影響を行使し続けているのかというテーマが存在していると考えている。

以下では、「研究テーマを掘り下げる方法として有名」(注1)といわれる「ニコ・ティンバーゲンの4つの問い」をつかって、本テーマについて思案をめぐらせてみることにする。

●第一の問い:調査対象の効果や目的は何だろう? 何のためにそれは存在するのか?

 カネそのものが学校経営に対して効果を及ぼすということはない。それはあくまで学校経営を営むための必要条件の一つでしかないからだ。そこで、ここではカネ→学校経営における予算の運用、すなわち「学校財務マネジメント」なる概念を措定し、「学校財務マネジメント」の効果や目的、および「学校財務マネジメント」は何のために存在するのかという点について考えてみることとする。

 思案を行う前に、議論の前提となる「学校財務マネジメント」が何を意味する概念なのか、その定義づけを行っておかなければならないだろう。当概念は学校財務とマネジメントという二つの単語が連結されることで成り立っている造語である。学校財務とは、当該年度の学校予算の編成から、通年を通して随時事務処理されてゆく予算の執行までにおいて生じるすべての事務を指す言葉である。また、マネジメントとは、組織の保有する人的・物的・財的・情報的などあらゆる資源の効率的運用そのもののことを指すと考えられるだろう。以上の二つの概念から、ここでは「学校財務マネジメント」を暫定的に「学校経営に資する学校予算の効果的運用」と定義する。

 前置きが少しながくなってしまったが、いよいよ「学校財務マネジメント」を先の「問い」をつかって切ってゆくこととする。

 「学校財務マネジメント」の効果と目的とはなんだろうか。またそれが存在する理由は何だろうか。

 まずは効果について考えてみる。その答えは、ずばり「わからない」である。なぜならば、そもそも「学校財務マネジメント」なる概念の認知度は限りなく小さなものであり、本用語を用いているのは、管見の限り、学校経営学、教育行政学などの学問領域において、学校財務に関心を持つ一部の学者(竺沙知章氏は記憶に残っている)か、研究会や関連雑誌などに寄稿を行っている熱心な学校事務職員くらいであり、言わずもがな、「学校財務マネジメント」の効果について実証的な研究を行ったものは一人として存在しないからである。そのため、データとして「学校財務マネジメント」の効果がどのようなものであるのかを、先行研究から示すことは不可能である。

 目的についてはどうだろう。「学校財務マネジメント」という用語を使用するのが、学校事務職員であるということからもわかるように、「学校財務マネジメント」の目的は、学校財務の効率化によって学校経営の質を高めることにあると考えられる。ここで、注意しなければならないのは、学校財務の効率化として具体的な実務においてどのようなことが想起されるのか、それによって、学校経営がどのように質的に変化するのかということが端的には導き出されないことであろう。つまり、「学校財務マネジメント」が目的とするところは理論的に(ないしは経験則的に)導き出される仮説にとどまったものであり、その目的設定の妥当性には検証が必要とされているということ、「学校財務マネジメント」の重要性を主張することは、今のところ運動論に収斂されてしまうということであろう。

 では、「学校財務マネジメント」なる概念が存在する理由はなんであろうか。この問いに関する思案が筆者は、このテーマについて熟議していく上でもっとも重要な点の一つであると考えるが、それは、学校事務職員の職務において蓄積される専門性の確たる証左としての存在理由を当概念が保有していることに他ならないと考えるのである。すなわち、学校経営の主たる担い手は校長を筆頭とした学校管理者層および、その前身たるポストに存する教師と考えられるが、そうした担い手には見えない視座から、学校経営に対する効率化の可能性を認識している存在として学校事務職員の存在があげられ、また彼らの持つ専門性が、学校経営において寄与しうる可能性を持っているというように考えることはできないだろうか。

 以上、本稿では「学校財務マネジメント」なる概念を措定し、その効果、目的、存在理由の3つの問いから考察を試みた。そこからは、学校経営の効率化にあたっては、学校事務職員という職域において蓄積された専門性が何らかの形で寄与しうることの証左として、「学校財務マネジメント」なる概念の存在理由が導き出されることがわかるのではないだろうか。
 
注1:「卒論テーマはこう決める|日経カレッジカフェ」より

 

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